私が就職した翌年、母は倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
当時、母と私は同居していながら意思疎通をあまりしませんでした。
久しぶりに朝ゆっくり話をした日の夕方病院に運ばれ、そのまま息を引き取りました。
私はその日外食をして遅く帰り、死に目にも逢えませんでした。
料理好きだった私の母はイベントを大切にする性格でもありました。
特に遠足、運動会などのお弁当はかなり力を入れて作ってくれました。
前日の夜遅くまでの下ごしらえも、朝はいつもより2時間は早起きして、借家の黄色い裸電球の下で台所に立つ母の姿を、20年以上たった今でも昨日のことのようにはっきりと思い出します。
遠足の目的地に着き、先生の「お弁当の時間だよ」の声でみんな一斉にお弁当を開きます。
我が家の定番は卵焼き、ウインナー、エビフライ、鶏の唐揚げ、海老のうま煮、ぶりの照り焼き、そして海苔のおむすびでした。
朝珍しく手伝いなどして例え中身を知っていたとしてもお弁当包みを開く瞬間は大変楽しみでした。
今考えると、それは小学生の私には食べきれない量で、必ず残してしまったのだけど、
「かあちゃんのお弁当が一番だ!」
と心の中で誇らしく思っていました。
実は友達のお弁当をのぞいた覚えはなく、多分どの子のお弁当も豪華だったのでしょうけれど、母親っ子だったわたしには母の手製は1だったのです。
そして家に帰り仕事から帰った母においしかったと告げると
「かあちゃん頑張ったからね」
と嬉しそうな顔をしたものでした。
母の亡くなった日と、その翌日は九つ年の離れた弟の高校入試の日でした。
父と相談し弟にはショックを与えないため、私が明け方に一旦家に帰る。
そして母は入院したと話し、お弁当を持たせて試験に送り出し、中学校の担任の先生にお話しすることになりました。
私の入試のときには母は遠足と同じように立派なお弁当を持たせてくれました。
多分、弟の1日目のお弁当も力の入ったものだったでしょう。
実は私はその日何を作ったか全く覚えていません。

ただ、母の揃えた材料で、出来るだけ母に近い物を作ろうと、そして母と同じように大きな声で
「いってらっしゃいね」
と送り出したことをはっきりと覚えています。
その日から私が結婚するまでのおよそ5年間、家族のお弁当は母から私にバトンタッチされたのでした。
やはり、イベントのある大切な日は早起きして「ねーちゃん」なりに頑張ったつもりですが、弟達はどう思っていたでしょうか?
母が亡くなった日のことは10年近く経った今でも家族の中で話題になったことはありません。
ただいつか、弟に母の最後のお弁当と私の最初のお弁当を覚えているかだけ確かめたいような気がします。