VOL.3
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30 冬の朝もあったかい♪ すいれん 
私が、宝物にしている言葉があります。

「お母さん、ちゃんとご飯を食べさせてあげて、好きなことをさせてあげれば、子供は大丈夫なんですよ。」

次男が幼稚園前に通っていた、体操教室の先生からのもの。
まだ、新米ママの域の中にいた私は、実感がありませんでした。
ごはん?好きなこと?そりゃそうでしょ。(←苦笑…)
でも、月日を重ねて、2人の息子達がどんどん男の子らしくなっていくにつれて、強く実感しています。やっぱり「ちゃんとごはん」と、「彼らの中のマイブーム―好きなこと―」の存在は、スゴイ!…と。

好きなこと。
…10歳になる長男、今学校でサッカー部に所属しています。
朝練の時は、6:20amに家を出るという生活。
さらに、お弁当持ちときています。
私は、5:00am起床!
今の季節は、街の中が、まだ眠りについている星空の中で起きています。
本当につい最近まで、“あ―、寒いわ。つらいわ。めんどくさいわ。”と、思いながらキッチンに立っていました。
それが、今年に入ってから、世界が変わったのです。
「ママァ、明日の朝、スープ飲んでいきたい。」
突然、長男がリクエストしてきました。
うーん、まいった。
朝5時から、お弁当に加えてスープ?(告白!:我家の朝食は、パンに牛乳、果物やヨーグルト…といった粗食ですませていたのでした。)
でも、考えたら育ち盛り…、朝、暗い中を“出勤”のように出て行く彼のおなかに、もう少しあったかい物を入れてあげたい。

それから、お料理本を片手に、インターネットを見ながら(もちろんひめさんのレシピも!)、新メニューに、挑戦し始めました。
ヘぇ〜、楽しいじゃない!うれしいわ!
…何が良いかって、子供たちのほっとした表情なのです。
短い時間だけど、すわって「食事」をしているのです。
トーストをむりやり牛乳で流し込んで、“朝を終わらせる”ことには、完全に別れを告げました。

かの先生は、私の心に大切な種を蒔いてくれたのです。
―――「ちゃんとごはん」、「好きなこと」…。
さらに私には宝物が増えました。
―――「いい匂いの湯気」と、「あったかい会話」。
会話は、“今日、寒そー。” “本当ォ!” …だけでもいいと思っています。
 
白い湯気のむこうに、カワイイ笑顔。
――ずっと、この習慣続けられたらな…って思っているところです。
子供たちのために、私のために…。




29 父のいた台所 はるな 寄稿者のホームページ

私の父は台所に立っていることが大好きな人でした。
定年退職後、家にいることが多くなってきた父は、本格的に料理を作るようになりました。
そのレパートリーとは「和、洋、中」と幅広いもので、その中には、自家製ワイン、ジャムなどもあり、それは手の込んだメニューばかりでした。

そんなある日私が家に戻ってみると、白い割ぽう着姿の父が台所のテーブルを打ち台にし、手打ちそばを作っていました。
真剣な顔をして長時間かけて「そば」を打っている父の姿は、まるでプロそのものだった。
出来あがった麺を茹で上げ、母の用意した器に盛りつけられた「手打ちそば」は、驚くほど完璧に出来あがり、とっても美味しかった。
そして母と私が、「おいしい、おいしい!」と言葉を交わしながら「おそば」を食べている姿を見ては、父は最高に満足げな顔をしていた。

今は亡き父となってしまったが、こうして父が残していった足跡は、いつまで経っても消えることもなく、逆に時間が経つほど、その足跡は深く心の中に刻み込まれていくようです。
そして今、私も自分の台所に立ち、「父のいた台所」をあらためて再現してみようと思います。

料理って、
作る人がいる、食べてくれる人がいる、
おいしいと言ってくれる人がいる、
だから、きっと、「食」と「人間」は、人生における「永遠のテーマ」なんだと、私は思いました。





28 ワタシ改造計画 萌葱 寄稿者のホームページ
お腹が空いたから、何か食べる。
ワタシの食事って、そんなものだった。
お腹がいっぱいになれば、なんでもいい。
本当に、そんな程度のものだった。

でも、何だか、それだけのものじゃないんじゃない?
最近、そう思うようになった。
どうせ同じ「食べる」なら、楽しく美味しく食べたいもの。
昨年、病気をしたときに、「食べたいものが食べたいときに食べたいだけ食べられる」ということが、どんなに幸せなことか、初めてわかったし。

だけど、ワタシは、毎日のお料理が、どうも苦手。
苦手というのはかなり控えめな表現で、ハッキリ言っちゃうと嫌いなのだ。
それを、何とか好きになる方法はないか、いろいろ考えてみた。
その結論。
「好きになるためには、何かご褒美が必要」
ワタシという人間は、モノで釣るのが一番だからね。

そのひとつが、食器。
今まで使っていたのは、ほとんどが結婚式の引き出物でもらったものばかり。
全然趣味ではなかったけど、料理が盛れれば何でも良かったので、イヤだと思いながらも使いつづけていた。
けれど、自分で、お気に入りの食器を幾つか購入するようになってから、俄然考え方が変わった。
「お気に入りの器に盛り付けようと頑張ると、何だか料理が楽しいぞ!」
それからは、なんとなく気乗りがしない日は、大好きな器を使うことに決めた。
まずは形からという感じだけど、これは大成功だったみたい。

もうひとつが、お客さま。
ワタシは人から褒められるのが大好きなので、お客さまの効果というものは、大きい。
以前から、お客さまが来るときだけは、イヤだと思わずに料理をしている自分に気付いていたので、これはかなり使える手だと思う。
「美味しいですねー」と褒められれば、ホイホイと調子に乗って、いくらでも料理をするワタシ。
単純で安上がりですな、こちらの場合は。

とにかく、「食」というものは、人間が生きていく上で、不可欠なもの。
それならば、せめて、義務ではなく、快楽にしたい。
作るほうが、楽しい気持ちなら、食べる方も、きっと楽しい気持ちになれると思うから。
そして、なんとか、「好き」とはいかないまでも、「料理?嫌いじゃないわよ」くらいは、言えるようになりたいと願う、21世紀のワタシです。









27 瀬戸内海の魚
魚は今、私たちが食べているものの中で数少ない天然の食材です。
肉や野菜、果物や加工食品、ほとんどが人が栽培飼育、加工したものです。
魚も養殖していますがまだまだ天然魚は多いです。
そんな天然の魚の魅力を紹介します。

瀬戸内海の入口の鳴門海峡はご存知の方が多いと思いますが、渦潮がまき海峡筋は急流で川のごとくゴーゴーと流れています。
鳴門海峡だけでなく内海でも、700有余に及ぶ島々がつくる潮の流れは複雑で一定していません。
急流あり、穏流ありです。
こんな地理的環境は世界中どこの海を見ても瀬戸内海だけです。
そして生態系の維持や水質浄化に重要な役割を担う干潟、魚介類の生育の場として重要な藻場がたくさんある事です。
カブトガニなどの珍しい生物が生息し、魚類約430種、貝カニを入れると500種類を超える生物が生息しています。
外洋のような大きな回遊魚はいませんが、同じ魚でも瀬戸内海の魚は複雑な急流にもまれて美味しいのです。
例えば、べラという魚がいますが、高知県などの太平洋のベラは、身が柔らかくびしゃびしゃで美味しくないのですが、瀬戸内海のベラは美味しくて白身の高級魚です。
このベラの刺身は最高です。
身は半透明で美しく、くせがなく噛むとほのかな甘みがします。
私は釣りをしますが、魚好きにとって釣りたての魚を食べれるということは、この上ない贅沢、釣り人だけの特権といえるでしょう。
どんなに活きの良い魚を売っている魚屋で買っても、どんな有名な割烹や魚料理店で食べても、漁
師から直接、魚を手に入れても、自分で釣った魚にはかないません。
魚は活きの良さが命です。
魚屋でピチピチはねている、水槽で泳がして生かしている、それが活きの良い魚ではないのです。
釣った魚でも釣った後の魚の扱いで活きの良さが違ってきます。
釣ってすぐ魚をシメます、今まで大海原で泳いでいたままの状態を保つためです。
大型の魚はその時に血抜きをします、そしてエラ、内臓を抜いて直接、氷や水に触れないようにして10℃くらいで保存すれば完璧です。
魚屋でピチピチはねていても、魚はもがき苦しんでいるだけなのです。
どんどん魚の本来の旨味は落ちています。
水槽などで生かしているのはもってのほかです。
狭い水槽などに入れられて魚もストレスがたまり弱っているだけです。
そんな魚は美味しいわけがありません。
またいくら養殖の技術が進歩したといっても天然魚にはかないません。
魚の活きと旬の時期さえ良ければどんな料理方法をしても最高の魚料理が出来上がります。
手の込んだ料理は必要ありません。
イワシや10cm足らずの豆アジも刺身でいけます。
半身を一口で食べます。
刺身醤油でなく普通のかけ醤油にしょうがをすりおろして細ネギを入れて食べたら、ものも言えなくなるほど食べること請け合いです。
アイナメの刺身は一番美味しいと私は思います。
釣った後の処理をキチンとしたアイナメでなければ美味しくないですが、機会があればぜひ賞味してください。
これがアイナメの刺身!と、必ずうなります。

四季の魚を紹介しますと、
春アイナメのすまし汁にしゃぶしゃぶに湯びきに焼霜ふりに刺身。
春メバルの刺身、春メバルの刺身をあったかいご飯にのせて茶漬けにしたら、これまた美味。
春カサゴの味噌汁に煮付。春マダイの潮汁。
春〜夏マコガレイの刺身。夏スズキの洗い。
夏セイゴの塩焼き。夏マアジのたたき。夏マゴチの洗い。
夏マダコの天ぷら。
夏メゴチの空揚げに天ぷら。
外道の夏エソのつみれダンゴ。
秋マイワシの刺身。冬カワハギの煮付に鍋物。
そのカワハギのキモタタキ、キモフライ。
冬マゴチの鍋物。
冬イイダコの煮付。
冬マハゼの天ぷら。
冬マサバの刺身。
もうネタの尽きることがありません。
他にはキスやハゼ、イワシなどの小魚の骨を空揚げにした骨せんべい。
春〜夏にかけて瀬戸内海ではシログチという魚がよく釣れるのですが、この魚は塩焼き、刺身にしてもあまり美味しくないのでバター焼きか一夜干にします。
マアジや小さいマダイが沢山釣れたときも一夜干をよく作ります。
三枚におろして海水の濃度の立て塩に漬けて、干し網に入れて一晩干すだけです。
これで店で売っているものとは比べ物にならない美味しい美味しい一夜干が出来上がります。
それから、春に卵を持ったシログチ、梅雨頃に卵を持ったシロギス、冬に卵を持ったマハゼが釣れます。
この魚が釣れたときは卵を潰さないように取り出して海苔や青シソに包んで油で揚げ、塩、レモンで食べれば絶品の酒の肴になります。
干し物や焼魚など、魚料理に使用する塩は天然塩を使用します。
私は赤穂の焼き塩か伯方の塩を使用しています。

また海の資源を守る為に良く釣れていても絶対釣り過ぎない。
持って帰って食べれるだけ釣る。
食べない魚、小さい魚は丁寧に扱って海に返してやることです。
海の環境を守るために、漁業関係の方々が植樹活動をしています。
魚を増やすために何故、植樹?と思われるかもしれませんが、水を浄化したり養分を蓄えた森林機能が大変有効なことがわかってきたそうです。
豊富な森林機能を通過した雨水が川を通って海に流れ込むと海が浄化され、養分が海に流れ込むそうです。
また数年前、沖縄の石垣島では空港を造るために多くの木を伐採しました。
すると周辺の美しい珊瑚礁がほとんど壊滅状態になったそうです。
これは木を切ったために大雨で山土が海に流れ込み動けない珊瑚は呼吸が出来なくなって死んでしまったそうです。
木を切れば、海が死ぬ。これは今まで思い付かなかったことです。

いつまでも、この美しい海や自然を守っていきたい。
そして美味しい魚たちを後世に残していきたい。



26 ヒマラヤのチャイ くるみ
20代の青春時代、インドやネパールを数回訪れました。
いずれも1〜2ヶ月の滞在で、そのほとんどがトレッキングと言うヒマラヤの山麓歩きが目的でした。
トレッキングの一日は朝起きてゆっくり朝食を取り、2〜3時間歩いてその日の目的地に着き昼食、高度順化のため近くの丘などを登って、夕御飯,8時には寝るという毎日でした。

その中で欠かせないのがチャイと言うホットミルクティー。
ヤクの乳を温めそこに丸い茶葉(一見何かの糞に見えます)とザラメをドバーーーーッと入れグツグツ煮るのです。
それをガラスのコップについでくれます。
ものすごく甘いのです。
それをまず朝一杯、朝食の時にも一杯、1時間歩いてバッテイ(簡易宿)で一杯。
目的地に着いて一杯、とそれこそ一日に何杯も飲むのです。
高所は想像以上に体力を消耗するので、身体がカロリーと水分を求めるのでしょう。

あの味は忘れられません。
ヒマラヤは私の青春でした。
8000mの頂き、真っ青な氷河瑚、「世界は広い!」事を実感したのです。
その時の体験やものの考え方が、今の私の心の基地になっているような気がします。

いつか又ネパールを訪れてチャイを飲みたいです。



25 アメリカの健康食 コリスケ 寄稿者のホームページ
アメリカでは日本食がブームであるといわれています。
オレのまわりにも日本食びいきなアメリカ人が多くいまして、
「魚の油は肉の脂より身体にいいんだ」とか
「味噌汁は心臓病防止になるんだぜ」
などと言いながら良く和食を食べていますね。
これは、ここ数年に色々なメディアで日本食は健康食であるといわれているのが多くのアメリカ人に知れ渡ったためのようです。
昔は友達に寿司をごちそうしても、おそるおそる口に運び、いつまでも口をモグモグしながら
「グゥゥゥ、飲み込めな〜い」
と泣きをいれるなんてことが良くありました。
たしかに健康食だといわれると、オレたちも少しグロテスクなものを平気で食べれたりしますよね。
例えば、過去に流行った紅茶キノコやヨーグルトキノコなんて身体に良いと思わなければ絶対くちにしたくないですね、あんなブヨブヨしたけったいなもん(笑)。
でも、どのようなきっかけであれ自分の生まれ育った国の食べ物が美味しいといわれると嬉しいです。

「コリスケ〜、キツネウドンって美味しいよね〜」
「お〜、ありゃ身体が暖まっていいよな」
「わたしテンプラ大好きー」
「オレも好きだぞ、とくにレンコンのやつ」
「キムチさいこ〜!」

ま、たまに間違えてる人もいますが...






24 とびっきりの山ごはん hideko
あれは確か、山歩きを初めてまもない頃のこと。
友人と、よもぎ峠から谷川岳を目指したのです。
時は6月、沢ずたいの山道には、ピンクの「たにウツギ」が満開、足元には「ふき」がいっぱいでした。
二時間程歩いた後、新緑に囲まれて、せせらぎの音を聞きながらお弁当を広げたのです。
ザックの中からキュウリやトマトを出して何の気なしに沢の中に入れました。
雪解け水に冷やされたトマトとキュウリにパッパッと塩を振り、口に入れた時の味は今でも強烈に覚えています。
美味しさが疲れたからだのすみずみまで広がっていくのが分かりました。
「こんなに美味しいの、今まで知らなかった」と二人共夢中で食べました。
持参のおむすびもきれいにたいらげて、元気一杯その日はよもぎ峠まで楽しく登る事ができました。
最近あのようなキュウリとトマト達に出会っていません。
あの味を体験しに再びあの場所に行きたいなーと思う今日この頃です。

時々近所の人達と山歩きをします。熟年夫婦や若い方は子供ずれで、各家庭にある 大根、人参、豆腐、豚肉、味噌、油揚げ、きのこ類、ねぎ、ワカメ、・・ なんでも良いのです。
一人一品、そしてうどん一袋と水、忘れていけない‘おわんとおはし’をザックに入れて集合します。
主人と私のザックにはコッヘルとお鍋も入っています。
東京周辺の眺めの良い低山を選んで、ゆっくり、ゆっくり、おしゃべりしながら登ります。
一汗かいた頃(日頃運動不足のお父さん達はフーフー云っていますが)頂上へ。
持ち寄った材料で早速とん汁作りのはじまりです。
ワイワイ、ガヤガヤ大騒ぎ。
お腹もすいて、出来上がるのが待ちどうしい程です。
出来上がったアツアツのとん汁を食べている時の皆の笑顔はもう最高です。
これを食べる為に早起きして、山に登り汗を流してくるんだもの。たかがとん汁、されどとん汁で、良い景色に囲まれ、さわやかな風が味付けをしてくれて、自然の持つ力のすごさを感じてしまうのです。
帰りには登りの苦しさもすっかり忘れて「又、来ようね」とうれしい声が聞こえてきます。

2月になり雪がしまる頃、毎年クロスカントリースキーに行きます。
我々のリーダーAさんのワゴン車で奥只見へ。
翌日のコースを考えて適当な所にテントを張ります。
一面の銀世界で、物好きな私達の他には誰もいません。
Aさんは私達にとって、クロカンの先生でもあり、山の料理の達人でもあります。
狭いテントの中でエアーマットを広げ、ゴソゴソと食器を出している間にもうお鍋の用意が終わっています。
8人が車座に座りクーラーボックスの中から、アジ、平貝、ヒラメのエンガワ、等のお刺身を並べるともう宴会の始まりです。
ビールで乾杯をしているうちに、お鍋がグツグツと煮えてきます。
今日はもつ鍋でした。
脂を取り除いたもつはヘルシーで、ニラ、きゃべつも山盛り、フウフウ 云って食べいる顔はみんなニコニコです。外は雪が降っていても、テントの中はポカポカで別世界です。
山の話しに花が咲き、明日のクロカンでうさぎに会えるかな?それともカモシカ?と話題は尽きません。
テントパーティーは一度経験するとやみつきになり、どんなに寒くても心待ちするのです。


23 おいしいパンを焼こう あおあお 寄稿者のホームページ
私がにわかパン屋になるのは平日の夜。
会社からの帰り道、さて、今日はどんなパンにしようかなと考えることからスタート。
材料を揃え、計量して、さぁ こねよう。
力をこめて生地をこねながら「今日もおいしいパンになってね」と念じたり。
発酵を待ちながら「そうそうもっと膨らんでね」と話かけたり。
そして部屋中に幸せな香りが広がるとともに焼きあがったパンは、たとえ不格好でも、ちょっと焦げたりしていても、なぜかおいしい。
それはきっと「おいしくなって」の願いがこもっているから。
そして、誰かが「おいしい」って言うのを聞くとさらにおいしい。
みなさんもパンを焼きませんか?
きっと幸せな気分になれますよ。




22 華麗(カレー)なる秘められた謎
‥愛すべき祖母をおくるの最後の晩餐に‥
non-mama 寄稿者のホームページ
それは私が22才の11月の寒い日の事だった。
大好きな祖母がこの世を去った通夜の晩。
孫である私たち姉妹と従兄弟とで祖母の思い出話に花が咲いた。
花が咲いたとは何とも不謹慎だと言われそうだが、83才でこの世に別れを告げた祖母は何とも愛らしく、私たち孫をとても可愛がってくれていたので、供養の意味もあり、いつになくテンションも上がっていたのかもしれない。

その時の事である。
突然、従兄弟が祖母の作ってくれた料理の思い出の味について激しく議論しはじめた。

実は、私の母も従兄弟の母親である私の叔母も毎日洋裁の内職で忙しく、食事の支度はいつも祖母がしてくれたので、私たち孫にとっては祖母の味に関してはノスタルジックな感情を含めて思い入れも大きかったのである。
その、議論の対象になったのが「ジャガイモの短冊切りのカレー炒め」だ。
今風に言えば「ポテトスライスのカレーソテー」とでも申すのでしょうか。

何だそんなことと思われるかもしれないがその料理にはひとつ大きな謎が秘められているのである。

単なるカレー炒めではないあのしゃきしゃきした歯ごたえはどかからくるのか?
普通に炒めたらしんなりするだけであのしゃきしゃき感はだせないのである。
子どもの頃のかすかな記憶をたどっていくとどうやら「お酢」を使っていたらしい。
でもそのお酢をどこで使うのか‥。
従兄弟の一人はジャガイモをスライスしたら酢水にさらすのだと言い、もう一人は炒める時に酢を入れると言う。
どちらも譲らず、とうとう真夜中の料理対決となった。
結果、どちらも祖母の作った食感にはならなかったのであるが‥。

葬儀の朝、家中、線香の香りとカレーの匂いでなんともエスニックな空気が漂っていたのを覚えている。

その後、主婦歴十数年?の私も、謎でもあるあのしゃきしゃきの食感を得るべく未だに「ジャガイモの短冊切りのカレー炒め」を食卓のメニューに加えているのである。





21 お弁当 ぽんぎゃ 
私が就職した翌年、母は倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
当時、母と私は同居していながら意思疎通をあまりしませんでした。
久しぶりに朝ゆっくり話をした日の夕方病院に運ばれ、そのまま息を引き取りました。
私はその日外食をして遅く帰り、死に目にも逢えませんでした。

料理好きだった私の母はイベントを大切にする性格でもありました。
特に遠足、運動会などのお弁当はかなり力を入れて作ってくれました。
前日の夜遅くまでの下ごしらえも、朝はいつもより2時間は早起きして、借家の黄色い裸電球の下で台所に立つ母の姿を、20年以上たった今でも昨日のことのようにはっきりと思い出します。

遠足の目的地に着き、先生の「お弁当の時間だよ」の声でみんな一斉にお弁当を開きます。
我が家の定番は卵焼き、ウインナー、エビフライ、鶏の唐揚げ、海老のうま煮、ぶりの照り焼き、そして海苔のおむすびでした。
朝珍しく手伝いなどして例え中身を知っていたとしてもお弁当包みを開く瞬間は大変楽しみでした。

今考えると、それは小学生の私には食べきれない量で、必ず残してしまったのだけど、
「かあちゃんのお弁当が一番だ!」
と心の中で誇らしく思っていました。
実は友達のお弁当をのぞいた覚えはなく、多分どの子のお弁当も豪華だったのでしょうけれど、母親っ子だったわたしには母の手製は1だったのです。
そして家に帰り仕事から帰った母においしかったと告げると
「かあちゃん頑張ったからね」
と嬉しそうな顔をしたものでした。


母の亡くなった日と、その翌日は九つ年の離れた弟の高校入試の日でした。
父と相談し弟にはショックを与えないため、私が明け方に一旦家に帰る。
そして母は入院したと話し、お弁当を持たせて試験に送り出し、中学校の担任の先生にお話しすることになりました。

私の入試のときには母は遠足と同じように立派なお弁当を持たせてくれました。
多分、弟の1日目のお弁当も力の入ったものだったでしょう。
実は私はその日何を作ったか全く覚えていません。
ただ、母の揃えた材料で、出来るだけ母に近い物を作ろうと、そして母と同じように大きな声で
「いってらっしゃいね」
と送り出したことをはっきりと覚えています。


その日から私が結婚するまでのおよそ5年間、家族のお弁当は母から私にバトンタッチされたのでした。

やはり、イベントのある大切な日は早起きして「ねーちゃん」なりに頑張ったつもりですが、弟達はどう思っていたでしょうか?

母が亡くなった日のことは10年近く経った今でも家族の中で話題になったことはありません。

ただいつか、弟に母の最後のお弁当と私の最初のお弁当を覚えているかだけ確かめたいような気がします。

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※エッセイ中の画像・イラストは該当エッセイの執筆者によるものです。