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何カレーが好き? |
RAKO  |
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カレーって大抵の方は好きですよね。
でも私は違います。あんまり好きなほうではありません。
そんな私が何年か前にスリランカ人?(ちょっと記憶が定かではありませんが)の知り合いのおうちにお呼ばれした時の話です。
その日はそのお宅の小学1年生になる子供のお誕生パーティーでした。
「もしかして子供の集まるパティーだし、カレーかも・・・」
と心の中で思いながら、そのお宅へ。
予感的中!
テーブルの上には数々のカレーが並んでます。
豆カレーやら野菜カレーやら本当に色んな種類に腕を振るっていらっしゃいました。
私も全くカレーを食べないというわけではないし、パーティの席なのでもちろん口にしました。
ところが!?
それがすっごく美味しいのです。
子供向けにあまり辛い味付けではないし、今まで食べた事がないカレーの味でした。
「いいよね〜いつもお母さんこんなに美味しいカレー作ってくれるんだ。
色んな種類があるけど何カレーが一番好きなの?」
って私はその子供に聞きました。
すると・・・・
「僕はね〜しんちゃんカレー!!」
「えっ!? しんちゃんカレー???」
とお母さんを見ると、彼のタンスを指差してます。
そのタンスには「クレヨンしんちゃん」のシールがズラリ。
「だってね〜シール集めるの楽しいんだもん!」
こんなに美味しいカレーもアニメキャラのシールには勝てないのかぁ・・・。
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39 |
私のひとりごと |
HIROKO |
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結婚をしてコドモができて食べることについて随分私なりに考えるようになってきた。
もともと私自身がアレルギー持ちだったことと食べることへの執着が強かったこともあって、不器用で時間もかかってしまうけれど家族には安全でなおかつ美味しいものを食べてもらえるようにと。
コドモが2歳半になってつくづく感じることは食育の大切さ。
食材はそのものの味がしっかりしたものを選び、できるかぎり添加物を含まない調味料で料理を楽しむ。
コドモの舌はものすごく敏感だから、美味しいときには素直に「おいしー!」の声。
イマイチの出来のときは無言で食べるか、かなり残されてしまう。
たまにファーストフードを食べることもあるけれど、コドモはハンバーガーのパンやポテトフライぐらいしか食べない。
家族で外食やデリバリーものを食べるときは、コドモは手作り的なものしかパクパク食べなくなっていた。
今の日本は食べ物がとても豊かに便利になった。
けれどもその反面食卓のありかたが問題になってきたり、キレる子供が増えたりと本来の食の楽しみが失われつつあるように思う。
食事を作るということはたしかに手間がかかるし、面倒になってしまうこともある。
それでもやめることなく作ってしまうのは、家族の「おいしい!」の一言と一緒に、同じ物を味わい語らうことに幸せを感じてしまうから。
コンビニやデリバリーや外食はたしかに手軽で便利かもしれない。
けれども連日こんな食生活を続けられるか?と聞かれたら私は迷わずできないと言う。
だってあきてしまうもの。
手作り料理にはあきないという不思議な魅力がある。
いつかコドモが大きくなって自分で料理を作れるようになるまで食育を楽しもう。
現在ひたすらおままごとの料理作りに夢中のコドモをみながら
「いつかとびっきり美味しい料理を食べさせてね」
と願う。
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38 |
いくらどん |
あけみ |
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お母さんが札幌に遊びに来てくれた。
久しぶりに母娘でデパートめぐり。
お昼になった。
「お母さん、何食べたい?」
「そうだねえ、前に旅行で来たとき、親子丼をたのんだら、鮭といくらのご飯がでてきたの。てっきり鶏肉と卵のだと思ってたんだよね。鮭といくらの親子とは。それがとってもおいしかったの。」
「いくら丼、食べたいなあ。」
ササ、それではとお寿司やさんへ。
「お母さん、おいしい?」
「うん、おいしーい。」
ほころぶような笑顔。
この笑顔に今までどれだけ助けてもらったかな。
試験日の朝。
1人暮らしを始めたとき。
そして次の日のお昼。
「今日は何の気分?」
「いくら丼食べたいなあ。
でも、今日も食べたら、昨日のおいしさが薄れるかなあ。やっぱり別のにしよう。」
なーんてかわいいんだろう。
少女のよう。
ささやかなことに心から喜べるの。
そう、お母さんはぬいぐるみを車に乗せていたり、私にスヌーピーのハンカチをくれたりする。
いくら丼を食べながら、友だちにシフォンケーキの作り方を習ったと、生き生きと話してくれる。
「ベーキングパウダー入れないんだけど、すごく膨らむの。」
私が小さい頃は、仕事と生活に精一杯でケーキを焼く余裕なんてなかったんだ。
今度帰ったら、シフォンケーキ食べさせてね。
あとお手製の梅干しもよろしくね。
お父さんの好きな六花亭のバターサンドをおみやげに買い、お母さんは帰っちゃった。 |
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「美味しい」という言葉 |
eamy |
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食べることはもちろん、作ること、そしてそれを食べてもらうこと・・・
食の空間が大好き。
新しい味に出会うことにも大きな喜びを感じます。
人種のるつばであるここアメリカで、私の味覚好奇心は様々な刺激を受けました。
味覚の幅も広がったように思います。
好き嫌いなく何でも美味しく食べられる私ですが、生まれて初めて出会う味には、正直美味しいという言葉が出てこない食べ物もあるのです。
食というのは文化です。
異国の味を自分の好みでないだけで、「美味しくない」という言葉を選ぶのは失礼かな・・というのが私の持論です。
文化を否定してはいけないと思うからです。
そんなときは、「なかなかユニーク」とか「非常に興味深い」などという言葉を使うほうが、スマートですよね。
そんな私は、旅先で出会う初めての味を「まずいまずい」と表現する方を見ると、少し残念な気持ちさえしてしまうのです。
味覚というのは、経験に基づくもので、食べなれたものは「美味しい」と、食べなれないものは「美味しくない」と感じるはず。
不思議なもので、何度か食べているうちに、「美味しくない」から「美味しい」に変化する自分に驚いたりするのです。
私にとって「美味しい」という言葉は、ある意味で非常に曖昧な表現と言えるかもしれません。
たとえば、大切な人が自分の為に作ってくれたお料理、どんな味でも私にとっては「美味しい」のです。
少しばかり好みでなくても、「美味しい」と言って食べていることでしょう。
嬉しい気持ちが「美味しい」という言葉を生み出すのです。
私が関わる食の空間では、これからも「美味しい」という言葉を大切にしていきたいなと思っています。
ときにはグルメでなくてもいいのです。
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忘れられない「おかゆ」 |
むつこ  |
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終戦の年の6月末、私達家族は母の故郷の山口県に東京から疎開を致しました。
小学校に入学したばかりの私は、あまりその当時の東京の食糧難の事は覚えていません。
ただ、始めて挨拶に行った親戚の家で出された、グリンピースのおかゆとボラのお刺身の事は、はっきりと覚えています。
「まあ、東京から?大変じゃったね。今日はこれしきゃないけど、おじいちゃんが取って来たから」
と、叔母が白いお米に緑のお豆が鮮やかに入った固目のおかゆに、パラパラと塩をかけ、獲れたてのボラのお刺身と梅干を添えて並べ、
「冷めんうちに、食べんさい」
と進めてくれた、あの時の光景とあの味は今も鮮明に想いだす事が出来ます。
子供達が育ち、夫婦二人になってから国内、国外とよく旅をするようになり、初めて行った国で、色々とその国の名物料理をいただくようにもなりました。
特にオーストリアで食べた中世のお料理やリブステーキ、イギリスで食べたハギス料理やフィッシュ&チップス、又イタリアのタコ料理等は忘れられない味です。
でも何といっても、幼い時に食べた緑のおかゆや田舎の季節ごとの旬の味を私は一生忘れる事はないでしょう。 |
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贅沢な時間 |
近野 華  |
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ストレスが溜まった時、悲しいことがあった時、はたまた嬉しいことがあった時。
私はなるべくお金を気にせず、美味しいものをお腹いっぱい食べることにしている。
それは、気分によって甘いデザートであったり、パスタやステーキなどのこってりし
たモノであったり……と変化する。
今日は、数ある美味しいモノの中から、ウンウンと唸って選び抜いた焼肉≠ノついて書こうと思う。
私たち夫婦がよく通う焼肉屋は、千葉県にあるとは思えないほど、店内がシャレている。
テーブル席の他に、掘り炬燵のような座席もある。
ほどよい薄明るさの中、席につくと、店員さんが和紙のようなもので囲まれた蝋燭
に、火を灯してくれるのだ。
それが小さいのだけど、なんとも風情があったりして素敵である。
もちろん、味のほうも満点だ。
本店は赤坂にあるというその店は、特徴として、まずテーブルにタレが存在しない。
タレ味というものはあるのだが、基本はネギ塩の味付けなのである。
初めて入店した時、「えーっ、タレが無いのー?!」とうな垂れた私であったが、すぐにネギカルビの虜になってしまった。
薄ピンク色のカルビの上に、刻まれたネギがたくさん盛られて出てくる。
それを箸ですくって、備長炭で焼く。
ネギの面を上にして少し焼き、次にそ〜っと裏返す。
そして、焼きすぎる前に素早く口へ運ぶのだ。
ネギはできるだけ落とさないようにするのがコツ。
私の口の中へ放り込まれたカルビは、芳ばしい匂いを放ち、ネギのそれと競い合いながら、鼻の裏へ駆け抜けていく。
そう度々、経験できることでもないので、私はこの時ばかりとカルビをふんだんに楽
しむのである。
もう、口の中がネギ臭くなろうと、そんなのお構いナシである。
毎回、帰り際に「あちゃ〜……またこんなに食べてしまったよ」とぽっこりお腹と、カラッポ財布を見て呟く私。
それでも、この焼肉は止められない。
安物、大好き≠フ私であるが、コレだけは絶対に譲れない贅沢の1つ、なのである。
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忘れていた母の手料理 |
る美 |
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もとも料理があまり得意でなかった母が鬱病という病で入退院を繰り返していたので、子供の頃からあまり母の手料理のいい思い出がない。
高校生の頃、お弁当を持って行くときはもう自分で作っていた。
数日里帰りをしていよいよ帰る日の早朝、台所でなにやら、まな板の上を包丁がたたく規則的な音。
こんな朝早くから一体母は何をしているのだろう。
ふすまを開けるととてもなつかしい匂いがした。
そう、母の作るきんぴらごぼう。
母のきんぴらごぼうは少し変わっていて、ごぼうと人参をただ油でいためてしょうゆで味付けしただけのもの。
砂糖やみりんといった甘味を全く加えず、いたってシンプルだからこそごぼうと人参のうまみが活きている。
そういえば、浪人した翌年の受験の日の朝もこの匂いで目覚めたんだっけ。
わたしが帰る日の朝にまた作ってくれたんだ。
新幹線に乗って右手に東京タワーを見ながら東京を徐々に離れていく車中、ほかにほとんど乗客がいなかった車内でなんだか涙が出てきた。
忘れていたことをあとからあとから思い出した。
母親の手料理の思い出がないだなんて、一体自分は何を考えていたのだろう。
そういえば、まん中の芯もくりぬかずに、お砂糖かけてただ焼いただけの不恰好な焼きりんごを作ってくれたこともあったっけ。
見た目がいまひとつでも子供の頃のわたしは確かにとてもおいしいと感じていたはず。
あれから一年、いまわたしのそばで無邪気な顔をして、すやすやと眠っている娘に、将来わたしはどんな母の味を伝えてあげられるだろうか。
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あの人と食べた真夏の湯豆腐 |
のん  |
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北海道の人が、寒い冬に部屋をガンガンに暖かくして、冷たいビールと冷たい食べ物をいただくというのを聞いたことがあります。
真夏の湯豆腐は、さしずめその反対。
暑い時に、熱いものを食べると暑気払いになるというけれど、それは、それ。
やっぱり、暑いもんは暑い…!
お豆腐大好き、京都大好きの彼に逢うのは数か月ぶりのことでした。
仕事の合間をぬって京都にやってきた彼を、盆地特有のむし暑い夏が迎えます。
「お豆腐があれば、何もいらない。」
「京都はいいねぇ…。」
何度となく耳にした彼の言葉。
私が彼に食べさせてあげたかったのは、嵯峨野にある「森嘉」のお豆腐でした。
森嘉のお豆腐は水がいいのはもちろんですが、きめが細かくふるふるとして、このお豆腐やひろうすを、大阪から車でわざわざ買いにやってくる人もいます。
「嵯峨とうふ」はこの森嘉のお豆腐をさします。
お豆腐を食べてもらおうと、案内した先は「西山草堂」。
天竜寺の塔頭、嵯峨野で一番古いお豆腐を食べさせるお店です。
「おこしやす…」
耳に心地よい京都言葉がお出迎え。
通された広いお座敷は、夏の暑さとはうってかわって、エアコンでキリキリ冷やされた秋の気配すらしそうな部屋でした。
お座敷から見える庭の風情は、夏だということを忘れてしまうような緑むした庭でした。
温かい湯気をたてながら現れた湯豆腐を、じつにその人は美味しそうに食べました。
顔いっぱいに、「お豆腐が好き」って書いてありました。
火の通り具合もよいかげんな、ふるふるとしたお豆腐。
彼の、美味しそうに食べる幸せそうな顔を、このまま私はずっとながめていたいと思いました。
ずっと、このままでいられたらいいのにって思いました。
温かな湯豆腐をいただいたお座敷を出た時…ふいうちのように暑い風があたりを吹き抜けました。
せみの声に
「あっちでは聞かない蝉の声だなぁ…」
といって杉の木を二人で見上げたその先には、夏雲が広がっていました。
季節はずれの「真夏の湯豆腐」は、それ以来食べていません。
京都で過ごした何時間かの思い出は、それぞれの場所に帰る私たちの心に何かを残してほしいと願った、それはそれは、私の大切な時間でした。
「見てごらん あなたが指したその先は 夏日きらめく 川下り」
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32 |
あなた好みの味付けで |
美奈 |
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私の住むタイはお米の国。
お米を使った食べ物はたくさんあるけれども、その中でも日本人の口に合う物と言えばお米から作った麺類だと思う。
日本で米から作った麺類と言えばビーフンだけども、タイでは太さによって名称は異なり、また調理法も異なる。
しかしどんな料理にも共通していること、それは・・・最終の味付けは自分ですると言うことだ。
日本でラーメン屋さんとかでは自分で酢や胡椒を入れる人もいるが、なんとなく元の味付けに手を加えるのは失礼ではという意識があると思う。
タイでは自分で自分好みの味付けをするのは当たり前のことなので、誰も作り手に遠慮することなくジャンジャカ調味料を加える。
通常目にするのは魚から作った醤油ナンプラー、唐辛子入りの酢、一味唐辛子、そして砂糖である。
初めて街の屋台で麺を頼んだ時に周りのタイ人が皆砂糖を入れるのにはビックリした。
何故に砂糖・・・って感じ。
甘い麺なんて想像しただけで気持ち悪いでしょ?
でもある日好奇心からいつものナンプラー、唐辛子に砂糖を入れてみたらなんと、味がまろやかになったような。
砂糖の粒子が粗いせいかスプーンに1杯入れても甘くない。
唐辛子の辛さも程良くマイルドになってとても美味しい。
「郷に入っては郷に従え」である。
その土地の食べ方が一番美味しいに決まっている。
タイに来る機会がある方は、騙されたと思って是非麺類に砂糖を入れてみて欲しい。
せっかくの当地の文化を試さない手はないでしょう、絶対にお薦めなのだから。
あっ、くれぐれも日本のラーメンで試すのは止めて下さい。
タイの麺で食べるから美味しいのですよ。(←経験済みの私)
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31 |
ラーメンのかほり |
麦わら帽子  |
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遠い昔を想う時、思い出の鼻腔をくすぐる匂いがあります。
私が小学一年位の頃でしたから、今から46、7年前になるのでしょうか。
町で、美味しいと噂になっていたラーメンなるものを、食べたくて仕方ありませんでした。
「じじちゃん、私ラーメン食べてみたい。」
「あれは大人の食べ物だから、子供には辛くて無理だぞ。」
「辛いのか〜。だけど食べてみたい」
でもそれから間もなく、憧れのラーメンを食べれることになったのです。
網走に買い物に行った時、祖父は黙ってラーメン屋さん(食堂)に連れて行ってくれました。
一口食べた時のあの感動は忘れられません。
今まで口にしたことの無い美味しさだったのです。
「今日ラーメン食べて来たんだよ。
辛くなかったさ。
あれはね、胡椒を入れなきゃいいんだよ」
家に帰ってから、母に得意げに話したものです。
今は無い三島屋のラーメンは、のれんを潜った時からワクワクさせる匂いを放っていました。
スープとメンマの独特の匂いが店中に漂い、ほとんどの客がラーメンを注文していたのです。
小学も高学年になった頃、ガリガリノッポの私の為に祖父は必ず2杯注文してくれました。
スープまで綺麗にたいらげて、満足しながら店を出たものです。
高校を卒業して東京に出た時、ショックだったのはラーメンのまずさでした。
今とは違ってラーメン屋も数少なく、食堂に置いてあるラーメンはどれも醤油の味そのもので、網走の味とは程遠いものでした。
そんな中、吉祥寺の池の辺に「どさんこ」と言うラーメン屋さんを見つけました。
北海道から来た若い夫婦のその店は、プレハブで建てられた小さな粗末な店でした。
懐かしい味に誘われて、友達と何回も行ったものです。
北海道の話をして、北海道の味をすする・・・・それは故郷を離れた私にとって、小さな幸せのひと時でした。
でもある時、そのお店が無くなっているのに気が付きました。
辞めた理由は分かりませんでしたが、何故か一つの支えが外れたような気がしたものです。
そして今、私は網走の「かに番屋」のラーメンにはまっています。
私の求めた味は、ずっとお醤油でした。
昔ながらの醤油味。
あの幼い頃の、のれんをくぐった時に嗅いだ、ワクワクする匂い。
それは時代の移り変わりに逆らって、ずっと変わらぬかほりを放ち、今も思い出の鼻腔をくすぐり続けているのです。
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